石田まさひろ政策研究会

 

[参議院議員 石田まさひろメールマガジン]Vol.5-119(2017年10月26日発行)

衆議院議員選挙が終わりました。

結果は与党が3分の2を維持、野党は再編となりました。
看護師仲間の岡山3区 あべ俊子さん、京都3区 木村やよいさん、無事激戦の末、当選を果たしました。

11月1日の特別国会招集に向けて、まだ野党内で鞘当てが起きていますが、いずれにせよ基本政策を軸に政党の整理が進んだので、今後は与野党で政策議論がよりクリアになると考えられます。わかりやすい対立軸での議論となるので、世論も激しく左右に動くと思います。政治家にとっては情報発信の力がより重要になります。

解散後は、全国にいる仲間の応援に時間の大半を費やしました。移動距離は3万キロ弱。かなりやったという実感があります。人の応援をすることは自分自身の足腰の力をつけることにもなります。この間、多くの方にお世話をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

これから年末にかけて、来年度にむけた国会、税制、予算政策議論が最も活発になる時期を迎えます。医療福祉関係では、報酬改定の正念場を迎えます。患者・利用者の幸せの実感、看護師始め従事者の充実感を共にあげられるように、限られた予算をどう配分するか、難しい課題にチャレンジしていきます。

☆★==陽当たり良好通信====

皆さま、こんにちは。事務所の五反分です。

車を運転するとき、ラジオをつけて何となく放送大学の授業を流しているのが好きです。バックミュージックとしての講義です。

先日『貧困と社会』という講義の中で、講師が柳田國男の『明治大正史 世相篇』という著述から一部を引用しておりました。明治期に都市への人口集中が進み、親子心中が増えたという事実に触れた後、柳田はこう記しているのです。「これほどまでに、親が、我が子の行く末を憂うようになったのである」

この言葉には驚かされるとともに、考察の切っ掛けも与えてもらえます。つまり、明治期以前には、親はあまり子供の将来を憂うことがなかった、というわけです。もちろん我が子の将来を心配しない親などいないでしょう。「憂うことがなかった」という意味は、「自分がいなくなっても、この子は村の中でみんなに支えられながら生きていけるから、心配はいらない」ということなのだと思います。

総選挙に関連して、私は応援の為、山形、岡山、京都、鹿児島とまわっていました。多くの人に出会いました。田舎にはまだ村社会がかろうじて残っています。「村社会」というと閉鎖的でよくないイメージがありますが、柳田國男の一文からは違う一面も想起できるのではないでしょうか。現代風にいうと、濃密なコミュニティーということです。中学・高校の幼馴染みが脱サラし東京から故郷に戻って始めた定食屋で、彼が焼いてくれた焦げたサンマを奥歯で噛みながら思った次第です。

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