石田まさひろ政策研究会

 

[参議院議員 石田まさひろメールマガジン]Vol.10-228(2022年8月18日発行)

[参議院議員 石田まさひろメールマガジン]Vol.10-228(2022年8月18日発行)

 

77年前の8月14日に日本はポツダム宣言を受諾。そして、8月15日に昭和天皇の肉声による玉音放送にて日本国民の戦争は終わりました。

 

各地で武装解除が進み、敗れた悔しさ、占領への怯え、苦しみから解放される喜びや安堵感など、多様で強い感情を人々は持ったはずです。その感情の渦を一気に引き戻してしまうようなことが北の端で起きました。8月18日、千島列島の最北端の小さな島である占守島(しゅむしゅとう)に突如ソビエト軍が上陸を始めたのです。

 

実は8月16日にソビエトのスターリンがアメリカに対し、ソビエトによる北海道の北東半分の占領を要求しました。しかし、アメリカのトルーマンはこれを拒否しています。占守島への侵攻は、ソビエトの北海道武力占領を目指した動きの一貫だと考えられています。

 

武力解除中の日本軍は終戦後に再び戦う葛藤を抱えつつ、島民や缶詰工場で働く工員の命を守るため、武力を再整備し、戦う決断をしました。戦いは地の利を利用し、ソビエト軍に圧勝。ソビエトにとっては満州や朝鮮戦線に比べ、最大の死者を出しています。日本軍は必死に侵攻を食い止めていましたが、方面軍司令官から戦闘停止命令があり、再び武装を解除。日本兵はシベリアに抑留され、多くの死者を出すことになりました。しかし、この数日がソビエトの南下を遅らせて、北海道への占領を断念させたと評価されています。

 

中心となった部隊は第11戦車隊。11を漢数字で書いて縦書きすると「士(さむらい)」と読めるため「士魂戦車大隊」と呼ばれ、島民の命と北海道を守りぬいた精神の伝統が北海道に駐屯する陸上自衛隊にも受け継がれています。

 

終戦という定義ですら人によって異なります。一つであってほしいと思う正義ですら、それらがぶつかり合い、命が奪われることは残念ながら今も続いています。今の日本の形も当たり前にあるのではなく、多様な思惑のぶつかりと、人の犠牲の上にあります。8月はいつも、正義と命について考える月です。

 

 

☆★==陽当たり良好通信====

 

 

皆さま、こんにちは。事務所の五反分です。

 

6年前に起きた「知的障害者施設 津久井やまゆり園」での殺傷事件を覚えていらっしゃるでしょうか。元職員で当時26歳の男が、「意思疎通ができない」と勝手に判断した入所者19人を用意した包丁で刺殺。入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた残虐な事件です。深夜、施設に侵入した犯人が職員を結束バンドで拘束し、施設内を連れまわしながら、入所者が「しゃべれるか、しゃべれないか」を確認して刺殺したというのです。「(犯人の)意図に気づいた職員が、『しゃべれます。みんなしゃべれます!』と泣き叫ぶのに対し、『お前めんどくさい!こいつしゃべれないじゃん』といって入所者に刃物を振り下ろしていった」(週刊文春2020年4月2日号、ノンフィクションライター渡辺一史氏の寄稿より)。後日、犯行動機について「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべき」「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」と発言しています。

 

この犯人のおぞましい言葉に対し、皆さんはどのように反論しますか?ある地の知事まで務めた人物は事件直後「この間の、障害者を19人殺した相模原の事件。あれは僕、ある意味で分かるんですよ」と述べました。人の心に巣食う醜悪さが共鳴し、つぶやき程度だったものが大波のように広がっていくことを恐れます。私たちは嫌悪や違和感を感じた事柄に対し、反論する明確な「言葉」を持たなくてはなりません。何となくモヤモヤして流してはならないのです。

 

7月26日、津久井やまゆり園「鎮魂のモニュメント」前で追悼式が行われました。犯人が「無価値」と断じた人たち。その人たちは、別の誰かにとって取り換えのきかない大切な一人だったのです。

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