石田まさひろ政策研究会

 

高野病院の危機から浮き彫りになった日本の課題

昨年末、東日本大震災の被災地である福島県広野町の高野病院の院長が火事でお亡くなりになりました。この地域で唯一の入院ができる医療施設で院長が不在となったため、病院、そして地域医療崩壊の危機に直面しています。

今、有志たちが必死の支援を続けており、なんとか医療は維持できています。しかし個人の努力の積み上げにも限界があります。地域の人々、医療関係の団体、行政、皆で力を合わせていかねば医療は守れません。

しかしこれは被災地の一病院、一地域の問題にとどまることではなく、人口減少が続く日本の未来の問題でもあります。まずはこの地域の医療を守り、同時に日本の未来の医療を守るために、行動していきましょう。

以下、昨日までの経緯を、我が事務所にインターンにきており、自ら高野病院の課題に取り組んでいる樋口さんがまとめてくれました。まずはこれをお読みください。

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福島県広野町の高野英男・高野病院長(81)が12月30日に火災で亡くなった。高野病院は福島第一原発から南に22kmに位置する。2011年3月の原発事故後、院長は患者が避難に耐えられないと判断し、患者やスタッフと共に病院にとどまった。病院には約百人の入院患者がおり、原発作業員らの救急医療も担ってきた。避難区域が解除される中で、故郷に戻る人々への診療も期待されていた。地域医療を担うには高野病院の存続が必要であった。

翌日12月31日には、南相馬市立総合病院の医師らが「高野病院を支援する会」を立ち上げ、メディアへの情報発信や常勤医不在の高野病院のためのボランティア医師募集を行った。

年明け1月2日には、全国からのボランティアや、浜通りの有志の医師らで1月中の診療体制は整ってきた。

1月3日には、広野町町役場にて町長・遠藤智氏、支援の会・尾崎医師らよる記者会見が開かれた。遠藤智町長より、尾崎医師から高野病院を支援する会の代表を引き継いで、広野町として町長が全面的に高野病院を支援していくこと、支援に集まった医師に宿泊代、交通費を支給することが発表された。

1月4日、福島県内堀知事から、年頭記者会見で“医師確保”を支援するという方針が表明された。

1月6日、福島県、広野町、高野病院事務長同席の下で、高野病院の窮状救済に関して会議が開かれた。冒頭、福島県保健福祉部の担当者が「双葉地方の地域医療と、高野病院の話は別です。そこから話を始めましょう。」と発言した。
内堀知事が医師確保を支援すると会見で発言したものの、福島県立医科大学に頼るしかないのが実情である。福島県立医科大学としては非常勤をたまに派遣して急場をしのぐ手伝いはできたとしても、常勤医の調整には時間がかかると発言している。支援する会の坪倉医師が、ケアの連続性やボランティアの負担を考慮しても、あまり猶予は無いとしている。
この日、全国の約20名の医師から問い合わせがあり、1月中の医師の確保は整った。全国の多くのテレビや新聞に掲載されたことで、高野院長の死から数日の間に、寄付をしたいという申し出が増えてきた。また、海外向けメディアでも報じられた。

1月9日、東京新聞一面で高野病院の実情が報じられた。広野町の遠藤町長が高野病院を支援するために、ふるさと納税制度でクラウドファンディングを開始した。

1月10日、開始一日で目標金額250万円を達成した。ボランティア医師の交通費・宿泊費などの当座の費用は確保できた。
残り49日の寄付の募集期間で、今後も増加が予想される寄付は、被災地で国の帰還政策が進む中、重要な「社会的インフラ」となる医療ニーズを満たすため、保健・福祉・医療体制の充実を目的とした事業に活用されることが町から発表された。

1月11日、2、3月常勤で院長として勤めてくれる医師が決まった。申し出があってから発表まで、数日の間で調整が行われた。発表直後からこの医師を取材したいという問い合わせが殺到している。しかし、4月以降の院長の目処は立っていない。

今回の高野病院の院長不在の危機は一病院の存続問題ではない。原発事故が拍車をかけた過疎、さらには全国にある過疎地に共通する医療の現状に対して、長期的に地域医療の担い手を確保するにはどうすればいいのかという課題を日本全体に投げかけている。

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