石田まさひろ政策研究会

 

メールマガジン Vol.4-080

参議院で予算が成立したのち、TPPが国会の審議の中心となり、主戦場が衆議院に移りました。その分参議院は比較的静かになりましたので、現場に行く時間を作れました。この一週間で3道県15か所ほど病院や施設等を訪問し話を聞きました。

看護について一番多かった声は夜勤の問題。

まだ不十分といえども、以前に比べワークライフバランスが整いはじめ、特に妊娠出産の休暇が取りやすくなっています。また施設内保育所(院内保育)もほかの職業と比べれば多く、子育てしながら働く看護職も増えています。

ただ、子育て期間は夜勤をするのが難しく、その分夜勤のできる看護職が減っている感じが蔓延しています。勤めている看護職の約1割が産休・育休で、残ったうちの1~2割が時短等で夜勤ができない、という感じでしょうか。
少し前までは看護職はみんな夜勤をやってあたり前という感覚がありましたが、今はそれがなくなりつつあります。

しかし、24時間患者・利用者のそばにいるのが看護職の仕事。夜勤に対する処遇の在り方など、大きく見直さなければならなくなってきました。

☆★==陽当たり良好通信====

皆様、こんにちは、事務所の五反分です。

先週今週と、各地から入学式の話題がニュースで取り上げられていました。東京の桜は盛りを過ぎていましたが、新入生の心には期待の花びらが満開だったことと思います。

浪人時代を思い出します。近年、谷中・根津と共に「谷根千」と呼ばれレトロ人気となっている千駄木の共同下宿で、4つの部屋に4人の浪人生が下宿していました。台所・トイレ共同、風呂なし、月2万円。お金に余裕がなかったので、予備校に持っていく弁当は自前です。おかずは卵焼きか目玉焼きを一日おきに作ります。

親元を離れての一人暮らしが初めてでしたから、ちょっとした解放感はあったものの、寂しさもありました。もちろん不安も。両親も心配だったと思います。無事を知らせるため、毎朝、実家に電話をかけるのが日課でした。携帯電話などまだ世の中にありません。お金もありません。公衆電話は距離に応じて料金がかかりますから、鹿児島への遠距離電話だとあっという間に100円玉が落ちて行きます。そんな時代の話です。

朝、地下鉄に向かう途中通り抜ける小さな公園に、その公衆電話はありました。今もあるのでしょうか。10円玉を入れて、実家の電話番号を押すと、どこかにある機械が私と実家をつなぐカチッカチッという無機質な音がして、少しの沈黙の後、呼び出し音が鳴り始めるのです。それから正確に10回、呼び出し音を聞きます。遠く離れたところで両親がその音を10回聞いています。10回鳴ったところで受話器を置くと10円玉が返却口に戻ります。それを小銭入れにしまい、公園の坂を下るとすぐ不忍通りなのでした。今は父が亡くなって母だけになってしまいましたが、呼び出し音だけの会話を懐かしく思い出します。

 

 

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